2007年11月17日

風車が見える丘で。

季節が冬へとうつろいゆく過程の中で、陽射しを受けると汗がじわりとにじみ、風を受けると思わず鳥肌が立つほどの冷たさを感じる時季(とき)。僕らがいま立っている場所が街並みを一望出来るほどの小高い丘の上だからそれはなおのこと顕著に感じられるのかも知れない。





僕らがあくせく日常を送る舞台を眼下に据え、そこからさらに視線を遠くへ向けると内海が淡い群青色に広がり、水平線上にわずかに対岸の陸地が浮かび上がる。そこにもまた同じように街があり人々が慌ただしく動き回っているに違いない。そんな普段は考えもしないようなことに思いを駆け巡らせることが出来る、この丘の上にはそんな日常からの隔たりがあるのだ。


空は真夏の青さにはかなわないがそれでも透き通るような空色を僕らに映し出し、風は丘陵を撫でるように吹いている。こことは反対側の斜面を駆け上り丘のてっぺんに達すると、そこから斜面を滑るように流れてくる。その風を背に受けて、髪が暴れることを止めもせず僕らは周囲のパノラマを一通り見渡した。


ここは静かでいい。世間の喧騒が本当に鬱陶しくなるほど、聞こえて来るのはすすきがさやぐ音と風車の羽根が風を切る音だった。


僕らが立つ丘の平面のすぐ近くに大きな風車が立っている。うなりを上げながら三枚の羽根がしなり、力強く秩序を保って回り続けている。僕らがここに来るずっと前からも、僕らがここに来てからもずっとそうなのだろう。風が吹く限り彼らはこうしてたゆみない営みを続ける。とりわけ目線と同じ高さで回り続ける一基は、僕らがさっきからこうしてじっと見つめていても何ら動じることなく彼自身の役割に没頭している。彼の仲間たちも整然と並び、それぞれの仕事を果たしていた。


僕らだけがこうして本来居るはずの世界から逃げ出してきたようで、そう考えると途端に恥ずかしいようなすごくうしろめたいような気分になる。





でも、こうしていると気持ちいいよ。





両腕を目一杯横に広げて、この時期に似つかわしい秋色のワンピースをはためかせながら彼女は僕と同じ方向を見据えてそう言った。声はすぐに風にさらわれていき、正確になんと言ったのかは定かではないが、たぶんそんなことを言ったのではないかと思う。


彼女も風に流される長い栗色の髪を抑えることもせず、本当に景色にとけこんでしまうのではないかというほどそこにそうあるのが当たり前のようにして立っていた。よく見れば彼女は僕と同じ景色を見ていたのではなく、瞼を閉じてそこにいた。風の音をより鮮明に意識に刻みこむためだろうか。


僕もそうしようとそっと目をつむり両腕をゆっくり上げていこうとしたところで彼女があっ、とさけび僕は思わずびくんとなる。





あれ、ヒコーキ雲!





彼女は僕らが見ていたはずの正面方向からだいぶ左側の上空を指さしていた。


いつからいたのか、そこには何基もの風車の上を横切るようにゆっくりと飛行機雲が伸びてきていた。


僕は両手の人差し指と親指で枠を作ると、その飛行機雲とそれを見つめる彼女をその中に収めた。青空と飛行機雲と風車と彼女の後ろ姿と風になびく長い髪。僕が写真家か画家かイラストレーターだったら間違いなくこのシーンを残すだろうなと思った。


不意に彼女が振り向いたので、僕は慌てて手を下ろす。





なぁにぃ?





その動きの不自然さに彼女は怪訝な表情を見せる。


僕がわずかにたじろいでいると、丘の上のほうからオレンジ色の光が僕らの視界にも射し込んできた。一瞬だけ強く吹いた風に僕も彼女も身震いする。





帰ろっか。





それはいつもの日常へ帰る扉を開くための合い言葉だ。扉はすんなり開き僕らは何ら躊躇うこともなく、その入口を跨ぐ。


彼女が僕の腕を掴む。





また、来ようね。





その時のために、この丘へ続く道への扉には鍵をかけずにおいた。


風車が風を切る音が、まだ、耳の奥の方で聞こえるような気がした。


風車が見える丘で。(1)風車が見える丘で。(2)
posted by tsasaki at 18:00| one of pieces